庭の石垣と同化するかのように置かれている数々の陶器作品(リサの言う、失敗したガラクタたち)のショットが、ドンッという威勢のいい音で遮断される。粘土を机に叩きつけ、愉快そうに土をいじる元気なリサ。そんなシーンからこの映画ははじまる。

監督のエミリア・ラーソンは、リサの孫娘。物心ついた時から、彼女のおばあちゃんは世界で知られる芸術家であった。彼女にとってのリサは、「よく知らないけれど憧れの存在」だった。

家族、孫たち、過去への回想、各地で開催される展覧会、最愛の夫グンナル。様々な映像をはさみながら、映画は進行するが、時間の経過とともに、少しずつリサが弱っていくのがわかる。これは、終わりのはじまりの物語なのだ。いつの間にかリサの中に、自分の両親や、親しい誰か、そして自分自身の姿までも重ねてしまう。

見る人の年齢や状況によって、二重写しになる人物は様々だろうが、リサの、独り言のような、あるいはベッドで小さな子供に読み聞かせをするような、優しい声と心地いいリズムが、知らず知らずのうちに、二重写しになった人生の旅に迷い込ませる。

あの古いムービーは私の記憶かもしれない。年老いた時、私は何を語り、何を語らないのか。心を癒すような映画の静かなトーンに導かれて、リサの物語と、私の物語が重なる。

リサは手を動かして何かを作ることが得意だった。そういう才能と自由を与えられた彼女は、生涯、それを自分の役割として引き受け、わき目をふらずに突き進んだ。

乱暴に言ってしまえば、芸術家とは、他人の「気休め」のために、自分の全人生と全能力を使い尽くす人のことを言う。この映画のリサのように。

超然とした迷いのない存在になって人を啓蒙するのが芸術家ではない。迷いに対して目をそらさず、それを手に取り、作品の中に練り込んで、形にして差し出す。それを見た人の人生が根こそぎ変わってしまわなくてもいい。すこしでも気が休まればそれでいいのだ。

歳をとっても、疲れていても、粘土を握る力が弱くなっても、もっと仕事がしたい、やりたいアイデアがたくさんあるという自分を失うわけにはいかなかった。弱っていく自分を見せることになっても、それが誰かの創作になるならば厭わない。それが天に才能を与えられた者としての役割であった。

2歳で母を失ったリサには、悲しみの本質を知るものとしての役割もあった。作品に滲み出るそれは多くの人を癒した。そして、リサが「世界一やさしい子」と言う長男マティアスの娘であり、芸術家の孫として生まれたエミリアにも、彼女だけの役割があるのだろう。この映画は役割についての映画かもしれない。

芸術家として生きて死ぬとはどういうことか、私たちはその答えを最後に観る。
ベッドに横になったリサが、エミリアに言う。
「あなたの監督デビューが楽しみよ。きっと大成功するわ。」

芸術と言っても、仕事や、良きことと言っても同じだが、人は誰かを励まして、それを誰かに手渡さなくてはならない。このリサの言葉が、すべての答えかもしれない。

映画のあいだ中、リサは、孫を見るような眼で私たちを見つめて、自分の人生を、自分の声で、こんな人生があなたの参考になるかしら、という態度で語ってくれた。エミリアはリサとの日々を自分だけの思い出にしないで、それをそのまま、私たちに手渡してくれたのだ。あなたの人生の参考になるかしら、と。

画面の端々に、私たちと一緒に作った商品が写り込む。あのマットも、あのトレイも、あのクッションも、ああ、まだあそこに、あのカメラの箱がある。それらの小さきモノたちよ、見守ってくれてありがとう。
私も、私の役割を生き抜くからね。

トンカチ

INFORMATION
作品情報
邦題
リサ・ラーソンがいた時間
英題
Memories In Clay : A Film About Lisa Larson
公開日
2026年9月18日(金)
公開劇場
シネスイッチ銀座、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開
監督・撮影
エミリア・エクマン・ラーソン
出演
リサ・ラーソン、グンナル・ラーソン、マティアス・ラーソン、エミリア・エクマン・ラーソン、フランコ・ニコロシ
製作年・国
2025年/スウェーデン
言語
スウェーデン語
上映時間
94分
字幕
LiLiCo
後援
スウェーデン大使館
協力
株式会社トンカチ
配給
ミモザフィルムズ
Lisa larson