レスター・バングス

  伝説のロック評論家、その言葉と生涯

レスターを知らないから、お前はダメなんだ!

音楽について語ることが、表現し行動することであった激動的な1970年代。その真っ只中を生きて死んだ、伝説のロック評論家レスター・バングスの評伝、日本初書籍化。一人の、これ以上ないほどにクチの悪い男が「文学としてのロックンロール / ロックンロールとしての文学」を作り出すまで!

 「レスター・バングス 伝説のロック評論家、その言葉と生涯(原題:LET IT BLURT)」は、抑圧された子供時代からロック批評家として頭角を表し突然の死に至るまで、伝説の男の人生を丹念に追った記録である。翻訳は無理とも言われるその独特の表現、比類なき音楽への情熱、攻撃的なのに泣けてくる、どうしようもないほどに切ない魅力が明らかにされる。

 没後40年以上が経過した今も、レスター・バングスは本気で音楽と対峙した傷だらけのヒーローとして、人々の記憶に残り続けている。その言葉に触れたものは、本当の音楽、本当の文学、本当の青春に触れたように、それ以前とは何かが全く変わってしまうのだ。

 「パンクロック」や「ヘヴィメタル」を定義し、絶賛するにも酷評するにも、同じだけの愛と憎しみを注いだ、あり得ないロック評論家。英語圏においては、彼の評論スタイルは1つの到達点として認識されているが、日本ではこれまで書籍の出版がなく、ほとんど知られてこなかった。本書はその空隙を埋める最初のものである。版元では引き続きレスター・バングス自身の評論集も刊行予定である。


Photo © Kate Simon

レスター・バングス

Lester Bangs

1948年12月14日ー1982年4月30日。

レスターのキャリアは大学時代、雑誌「ローリングストーン」の読者によるアルバムレビューを募集する企画に応募したことから始まった。独学で築いた荒々しい言葉遣いと極めて鋭利な文章は人気を集め、ローリングストーンでニッチな地位を確立した。1973年「ミュージシャンを侮辱した」という理由で解雇されるまで、ローリングストーンで執筆を続けた。

その後、寄稿した雑誌「Creem」でも、騒々しく急進的な批評は止まらなかった。ある時は、アメリカのロックバンド、J・ガイルス・バンドのコンサート中に、タイプライターを手にステージに上がり、聴衆に見られながらリズムに合わせてキーを叩き批評でライブした。Fusion、Playboy、Penthouse、New Musical Express、Phonograph Record Magazine、Village Voiceなどさまざまな出版物に寄稿する。1982年、ドラッグの過剰摂取が原因で33歳という若さで生涯を閉じた。

映画「あの頃ペニー・レインと」について読む

2000年には映画「あの頃ペニー・レインと」で今は亡きフィリップ・シーモア・ホフマンがレスター・バングス役を演じた。ニューヨークパンクを代表するバンド ラモーンズや、世界で最も重要なバンドとも評されるREMのマイケル・スタイプは愛情を込めて曲中で彼の名前を歌い、作家デヴィッド・フォスター・ウォレスは、初の共著『シグニファイング・ラッパーズ』をレスターに捧げた。ニューヨーク・パブリック・シアターの公演「How to be a Rock Critic(ロック批評家になる方法)」の元となったのが本書である。


ジム・デロガティス(著者)

Jim DeRogatis

1964年生まれ。アメリカの音楽評論家、ジャーナリスト、大学の准教授。世界で唯一のロックンロールトークショーであるラジオ『サウンド・オピニオン』の共同司会者。シカゴ・サンタイムズ紙でポップ・ミュージック評論家として 15年間寄稿した。彼自身ドラマーであり、80年代初頭から数々のインディー・ロック・バンドに在籍してきた。現在のパンクトリオ、ヴォルティスは2000年から活動しており、最近7枚目のアルバム『This Machine Kills Fascists』をリリースした(Cavetone Recordsからレコードで発売中、Spotifyでストリーミングも可能)。彼もレスター同様、ローリング・ストーン誌 在職中に、否定的な批評を書いたために解雇されている。


●書籍詳細
188mm×128mm/448P
著者 ジム・デロガティス 
訳者 田内万里夫

定価:¥3,600 + 税
ISBN : 978-4-910592-34-3

特別CDセット

本書と日本未発売の3枚組CDセットをバンドルしました!「Let it Blurt」のフランス語版の出版時に発売された3枚組CD。レスターの過去の批評から引用した文章と、ボブ・ディラン、マイルス・デイヴィス、ルー・リードなどの伝説の楽曲を収録。本書のサウンドトラックともいえる内容です。CD3枚組セット。20ページのブックレット付き。日本国内未発売。
※本CDは輸入盤の中古品となります。


INTERVIEW With Jim DeRogatis

・レスターに初めて会ってインタビューしたとき、人間としての彼をどう感じましたか?

レスターは信じられないほど親切で、私が想像もしていなかったくらい懇切丁寧に教えてくれた。そもそも、彼は素晴らしい書き手だが、恐ろしい「野獣」でもあると言われていた。しかし、私が本書に書いたとおりで、彼は謙虚で思慮深く、会うと勇気をくれる人だった。フィリップ・シーモア・ホフマン(俳優)は、『Let It Blurt』が出版された約半年後に公開されたキャメロン・クロウ監督の2000年の映画『Almost Famous』(あの頃ペニー・レインと)で、彼を見事に演じていた。ホフマンは私のインタビュー音声を聴きながら撮影現場を歩き回っていた。映画の主人公が1972年に17歳で出会ったレスターは、私が1982年に17歳で出会ったレスターそのものだった。

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・それから時が流れ、彼の伝記を書き終えたあなたは、レスターという人間をどう感じましたか?

レスターの著作の多くは彼の強烈な自伝でもある。だから私が会った時の優しい彼とは全く別の人間がいることは知っていた。彼は常に現在進行形だった。当時の音楽、その背景、その意味を年代記のように書き記しながら、同時に彼自身の旅の行方とそこから何を掴み取ったのかを書いていた。私は彼の人生の物語を書きながら、良いこと、悪いこと、美しいこと、醜いことを目の当たりにして、彼に対してより強く感謝したんだ。私たちは皆、結局は複雑な生き物なんだ。同じように欠点があり、それでもなお素晴らしいんだ。

出版から20年以上が経った今、改めて人間としてのレスターをどう感じていますか?

かつて、彼がその人柄と才能を、世界に対して分かち合ってくれたことに感謝しかない。そして私が彼に会うことができたことに、今となってよりいっそう感謝している。レスターを読むたびに、私たちの文化について、彼という人間について、そして私自身について、新たな気づきを得ることができるんだ。

レスターは、音楽がやがて力を失うと予言していたように思えます。今の音楽は力を失っていると思いますか?もし音楽にまだ力があるとすれば、なぜレスターの予言は間違ったのでしょうか?

音楽がその力を失ったとは思わないが、私たちの文化がミクロな関心事によって多くの異なる断片に分断されている。そのプロセスはエルヴィスの生前から進行していた(「エルヴィスについて意見が合ったように、もう俺達は何についても合意することはないだろう」とレスターが言ったように)が、インターネット時代に突入したことによって、年齢、人種、性別、地理的な境界を越えて、決定的な文化的瞬間として機能する「音楽」の力は、少なくとも少しは薄れただろう。けれどまた、ニルヴァーナやビヨンセのようなアーティストが現れると、誰もが再び同じサウンドによって共有されたその瞬間に同期するようになる。しかしもう、新しいビートルズやエルヴィスは必要ないんだ。今は、芸術としての音楽のあり方、その力そのものが、そうさせるんだ。レスターは人生の終わりに落ち込んでいた時期があったんだ。自分にとって、そして音楽にとって次に来るものを探していたのだと思う。忘れてはならないのは、彼は自分が間違っていたことを最初に認めることができる人だったということだ。彼が最初に音楽が死んだと思ったのは70年代初頭だった。その後、パンクが登場し、それは彼がずっと提唱してきたサウンドの具現化だったんだ。ポップ・カルチャーは常に循環していて、彼は誰よりもそのことを知っていた。

私はレスターの文章のような音楽評論を読んだことがない。ほとんどの音楽批評は、自分の好みを正当化し、擁護しているように思えるのです。レスターの文章が他の批評家と決定的に違うのはなぜでしょうか?

優れた批評家なら誰でもそうであるように、レスターの文章は極めて個人的なものだった(私の批評の定義は、文脈、証拠、洞察に裏打ちされた、芸術に対する感情的な反応と分析である)。それは自分の好みを正当化することでもあるし、自分の世界観や芸術観を他者と共有することでもある。しかし、レスターが仲間に対して持っていた共感、音楽が伝えることができると信じていた確信の深さ、そしてページ上でも対面でも完全に正直であったことが、音楽批評の分野だけでなく、批評全体(彼はオスカー・ワイルドのエッセイ「芸術家としての批評家」の典型である)、そして文学全般(グリール・マーカスが彼の最初の遺作集に「文学としてのロックンロール、ロックンロールとしての文学」という副題をつけたのは、決して意味のないことではなかった)において、すべての領域で彼を際立たせたんだ。

レスターがロックスターのように生き、そして死んでいった姿には、私たちは憧れてしまうのですが、それはどこか正しくないような気もします。それについてどう思いますか?また、今の若者がそのような生き方を目指すとしたらどう思いますか?

私はレスターの「ロックスター 的」な面をまったく評価しないし、人生の最後に断酒しようと必死にもがいた者として、レスターもまた評価しなかった。彼の行き過ぎた行動は、誰もがそうであるように、彼の痛みと精神的ダメージによって煽られたものだった。「私の人生には、私の酔っぱらいを見せびらかすような時期があった。けれども、そんな風に振る舞えば、長生きはできるかもしれないが、いい作家としては長生きはできないだろう」彼は「ロックスター」神話を声高に、情熱的に、そして頻繁に憤った。彼は、ミュージシャンは神々に触れられていて、どこか特別で、他人をくずのように扱う権利があるという考え方に異を唱えた。ルー・リードや、パティ・スミスや、ピーター・ローナーや、ザ・クラッシュについて、そして彼自身について、彼は文章を通して何度も何度も追い詰めた。

あなた自身がレスターから受け取った最大のメッセージは何ですか?

他の人間に寛大であること(ブロンディについての著書『Now it's your turn』を差し出した私にサインをしてくれた)。それに続いて、私がレスターから受け取った最大のメッセージは、「今ここにいる」ことと「今を大切にする」という禅の思想だ。人生を精一杯生きる!ぶちまけてしまえ!その哲学や在り方には多くの呼び名があり、ロックンロールはそのひとつに過ぎない。レスターはそれをどのように定義したのだろうか?「ロックンロールは態度なんだ。厳密な音楽形式ではない。物事のやり方であり、アプローチの仕方なんだ。書くことがロックンロールになることもあるし、映画がロックンロールになることもある。人の生き方なんだ」レスターはそう言った。

アーメン。


田内万里夫(訳者)

たうち・まりお

1973年生まれ。
テンプル大学教養学部英文学科卒業。
翻訳出版の版権エージェントとして複数のエージェンシーに勤務。
訳書にバリー・シュワルツ『なぜ働くのか』(朝日出版社)。版権エージェントをしながら絵を描きはじめ、「LOVE POP! キース・ヘリング展――アートはみんなのもの」(伊丹市立美術館、2012年)の壁画プロジェクトを担当したほか、タイ東北モーラム酒店(京王井の頭線・神泉駅前)やバー浮島(下北沢)の壁画を描き、映画『NEVER MIND DA 渋さ知らズ』の衣装協力などをおこなう。近年はHACO NYCおよびRevolú Galleryと仲が良い。「本書については原書が出版された当時、いつか日本語版が出たら読んでみたいと思っていたところ翻訳を依頼されて驚きました」と語る。

翻訳者田内万里夫のコメントを読む

この評伝の原作『Let it Blurt: The Life and Times of Lester Bangs, America’s Greatest Rock Critic』(Jim DeRogatis著、Broadway Books刊)が出版された2000年当時、僕は翻訳出版権の仲介をする版権エージェンシーに勤めるエージェントでした。英語圏の新刊ニュースを追うのが日課のひとつで、おそらく「Publishers Weekly」誌か「Kirkus Reviews」誌、それか本書の終盤になって登場頻度の高くなる「The Village Voice」紙の書評か、いずれかでこの本の存在を知ったのだと思います。マンハッタンのどこからしき通りでフザケて見せるレスター・バングスの、粒子の荒い白黒写真のジャケットが目を引きました。タイポグラフィも黒と白と赤だけの、つまり3色しか使われていない渋い表紙でしたが、印象はむしろ鮮明かつ強烈で、それでなんとなくその書評を読み進めていくうちに、こんな面白い人がロックミュージックの歴史の影にいたのかと、そのようなことを思いました。いつか日本語でこの本が出たら絶対に読もうとも心に決めましたが、それは本書の翻訳出版権を持っていた文芸エージェンシーのSterling Lord Literistic(レスターの憧れたジャック・ケルアックのエージェントです)と、当時僕が勤めていた版権エージェンシーとは提携関係を結べておらず、版権に手出しができなかったからです。

まさか自分がその本を翻訳することになろうとは、それから20年という歳月が流れるまで想像すらしませんでした。ただし、レスターのことはいつも頭の片隅にあり、その時代の音楽を聴くと、あの本はどうなってしまったのだろうと思い出したりしたものです。当時のロックンロールカルチャーの持つ意味を考えれば、音楽そのものが重要であることは大前提として、言葉による記録もまた等しく重要だと考えていたからです。

僕自身の話を少しだけさせてもらえるなら、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのファースからサードアルバムまでが(リアルタイムではありませんが)青春の記憶と深く結びついていて、ルー・リードよりも実はジョン・ケイルなんじゃないかと自分の好みのツボが分からなくなったり、その後モーリン・タッカーがあのティーパーティーのメンバーになっていたことを知って複雑な気持ちになったり(彼女が「If you close the door, The night could last forever~」と歌い始める〈After Hours〉が本当に好きなので……)、それから話は変わりますが1993年のソロアルバム《American Caesar》でイギー・ポップを初めて強烈に意識して打ちのめされた人間です。ザ・ストゥージズの〈Search and Destroy〉の衝撃をどう処理して良いものか分からないまま、米国の文学に引き込まれたり音楽に踊らされたりした過去があります。

たしか2020年だったと思います。翻訳サービス業を営む株式会社リベルの創業社長の山本知子さんから、このような本に興味はないか?と連絡があり、おそるおそるファイルを開くと、それがなんと、まさかのあのレスター・バングス伝でした。このような貴重な文献が未だ翻訳されることなく塩漬けにされていたのかと驚いたと同時に、嬉しくて小躍りしてしまいました。

本書の内容ついて多く語ることは、いまはしたくありません。

レスター・バングス(Lester Bangs)の名でインターネットを検索すればすぐに様々な情報が出てきますし、レスターの生きた時代の音楽事情についてものすごく詳しい方々が書かれた本もたくさんあります。ですが、読者となる方々にはできるだけ先入観なく本書を紐解いてほしいと思うからです。

著者ジム・デロガティスの、ストーカーではないかと疑いたくなるほどの執拗な取材の成果に基づいて書かれた原書(日本語版では割愛されることになってしまいましたが、取材協力者や参考文献の膨大なリストが巻末に添えられていて眩暈がします)の内容を、できる限り忠実に翻訳したのが本書、『レスター・バングス――伝説のロック評論家、その言葉と生涯』です。ほぼ四半世紀も翻訳されることのなかったこの評伝が日本語で読めるようになるのですから、出版元のTONKACHI(トンカチ)の英断に感謝しないわけにはいきません。また、編集を担当してくださった綾女欣伸さんの力なくしてこの本が出版に至ることはありませんでした。それから、日本語版のヴィジュアルをスタイリッシュに仕上げてくださったのがデザイナーの重実生哉さんです(編集者の綾女さんのグッドチョイスです)。

余談ですが、僕はいま出張中のニューヨークでこのテキストを書いています。紆余曲折の末にデトロイトからニューヨークに流れ着いたレスターの足跡を少しでも感じようと、マンハッタンのダウンタウンを歩くたびにストリートの景色に目を光らせながら、僕自身は今回サウス・ブロンクスを拠点にプエルトリコ系を中心としたカリビアン・コミュニティとの関わりを深めています。ニューヨーク市内とはいえ、レスターがその晩年(と言っても30歳そこそこ)を過ごしたマンハッタンのダウンタウン~ミッドタウンあたりとはまるで異なるコンテクストのなかを彷徨っていますが、ニューヨークという巨大な文化的坩堝のダイナミズムを肌で感じながら本書に寄せたこのテキストを書くというのは、自分の正気を疑いたくなるような、そんな落ち着かない感覚です。

本書の編集をしてくださった綾女さん、そして翻訳者として指名してくださった株式会社リベルの山本さん、同社の関根光弘さんには最後の最後まで大きなお力添えをいただきました(おかげさまで寿命が延びました)。またこの先、レスター本人による執筆(ライティング)の集大成である『サイコティック・リアクションズ・アンド・キャブレーター・ダング』と『メインラインズ、ブラッド・フィースツ・アンド・バッドテイスト』の両冊(いずれも仮題)が奥田祐士さんによる翻訳で、おなじくTONKACHIより出版予定です。

真打としてこの先に待っているのはレスター自身の評論(や著作)で、こちらも日本語では初めてまとまった形で読めるようになります。もうすぐです。その前座の役を担うレスターの評伝を訳すことになった奇妙な巡り合わせに感謝すると同時に、その責任の重さに耐えながら出版日を指折り数えるという恐ろしい経験を、レスターの漂着したこのニューヨークで迎えられていることの不思議に身震いしています。

本音をぶちまけまくっているうちに、いつの間にかロック評論のパイオニアとなっていたレスター・バングス。「伝説の~」と枕詞がつくのには、それなり以上の理由があります。

2024年4月14日、サウス・ブロンクス某所にて

田内万里夫


綾女欣伸(編集者)

あやめ・よしのぶ

1977年鳥取県生まれ。
編集者。
大学在学中からインディーズ音楽レーベルで働き、朝日出版社を経て、現在はフリーで編集や執筆・取材をおこなう。2012年に「アイデアインク」シリーズ(内沼晋太郎『本の逆襲』、佐久間裕美子『ヒップな生活革命』など)を立ち上げ、ほかに武田砂鉄『紋切型社会』、「本の未来を探す旅」シリーズ、九螺ささら『神様の住所』、『Chim↑Pom展:ハッピースプリング カタログ』などを編集。最近の担当作は山本美里『透明人間 Invisible Mom』(タバブックス)と山下賢二『君はそれを認めたくないんだろう』(トゥーヴァージンズ)。デザイナーに話を聞くフリーペーパー「デザインの両面」も継続中。大阪・北加賀屋で開催のASIA BOOK MARKETの韓国出店者もコーディネートする。

編集者綾女欣伸のコメントを読む

大学と社会の隙間に潜む20代後半、丁稚のように働いていたインディーズ音楽レーベルで、その代表から教えられて見た映画が『あの頃ペニー・レインと』でした。これから音楽業界を生きていこうとする僕に、いつでも帰ってこられる「音楽の青春」の原点を示してくれたのだと今では感じています。それから訳者の田内さんと同様に20年弱の時を経て、あの映画の中でフィリップ・シーモア・ホフマンが演じていたレスター・バングスの評伝の日本語版を編集することになろうとは、まさに「邂逅」というほかありません。

ロックをこよなく愛して一家言どころか何百万家言もぶっちぎるクセの強すぎるおじさん、ことレスターの内実と人生を描く本書は、一個の「評伝」ということを超えて実に多くのことを語ってくれていると思います。真のジャーナリズム、批評とは何か。ロック雑誌全盛期の群雄たち。なにが音楽や出版を殺すのか。家族とは何か。そして信仰と孤独について――。その後僕は音楽ではなく出版の業界に進むことになったのですが、本書はライターや編集者など「書く」ことに関わっている方々にとってもたくさんの示唆が得られる一冊だと感じます。

なかでも自分の胸に迫ったのは、音楽を奏でる/小説を書く“プレイヤー”と、それについて書く“ライター”とのあいだにある大きな懸隔とその乗り越えの話です。レスターも実際、音楽家としてレコードを出し、小説を書こうとしていました。何かについて「書く」ことがその対象を超えうるとしたら、そこに必要なのは何なのでしょうか。

映画と同じく、来たるべき若者たちへ向けたレスターの温かい眼差しもとても印象的でした。いや、(亡くなった年齢の)33歳は全然「おじさん」ではないですよね、レスター。

レジェンドという乾いた言葉が血肉(と汗)をともなって、また一人、日本の読者のもとに届きますように。


重実生哉(デザイナー)

しげざね・いくや

1979年生まれ。
グラフィックデザイナー。筑波大学芸術専門学群卒。モリサキデザインなどを経て2006年独立。書籍のデザインを中心にグラフィックデザインを手がける。高知県在住。


企画者のコメントを読む

レスターを知らんから、俺はクソなのか?

レスター・バングスという伝説的な音楽評論家がいたという話は、何かで知った。レスターの文章については30年前に出た雑誌「ユリイカ」のロック特集で柴田元幸さんが翻訳した2つのテキストがあると知り慌てて入手。「ジョン・レノンについて、考えられないことを考える」と「エルヴィスが死んだとき、あんたはどこにいた?」を読んだ。これがなんとも言えない文章で、もはや評論なんかでもなく、愛ですらなく、ただただ切なく、胸が締めつけられた。ジョン・レノンの最上の一曲やエルヴィスの最上の一曲に匹敵するようなテキストなんてあり得るのだと初めて知った。それまで、そんなのないと思ってた。愛には同じだけの憎しみが必要で、爆音には同じだけの静寂が、言葉には同じだけの言葉にならない声が、意味には同じだけの無意味が必要なんだ。そんな文章だった。

 

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もっと他にも浴びるように読みたかった。アメリカにはレスターのテキストを集めたオムニバス本が2冊、伝記(本書)が1冊あるのを知った。翻訳はなかった。なので英語やスペイン語の本を取り寄せて、読めないけれど飾って想像していた。でも、埒が明かない。そのうちに、私がこうもクソやろうで、あまりにも恵まれないのは、レスターを知りもしないくせに音楽なんか聞いてきたからだと思うようになった。なので読まねばと思うが、翻訳される気配もなく、英語もわかるようにならない。誰かに翻訳を出してもらったら俺も読めると思い、旧知のトンカチに出版を押しつけた。まずは伝記。そして今後、レスター自身の評論集も2冊でる。これによりトンカチの出版ラインはめちゃくちゃになってしまったけれどな。

この伝記の著者、ジム・デロガティスは、高校生のとき、お前のヒーローにインタビューしてこいという課題を与えられ、死の2週間前のレスターに会う。優れたロックンロールとは何か?という高校生の質問に、レスターはしばし黙り込んだあとで、それはロックでなくても、映画でも、文章でもいい、物事に対する向き合い方なんだ。人生を貫くための方法なんだ、と答える。そして高校生が差し出した値引きシールがそのまま貼られた自著に、まだ売れ残ってたんだな、といいながらサインする。「ジムへ 次はお前の番だ。頑張れ。レスター」と。ここでグッとこないヤツは人でなしだ。いや、いい人かも知れないが、道理のわかったお利口さんだ。

この本は、音楽が本当に力を持っていた時代に生まれ、音楽によりめちゃくちゃになった男の人生を振り返るものだ。俺たちがちょっとだけ足を踏み入れて、ビビって引っ返してきたところの、先の先のそのまた先まで案内してくれる。ああ、はよ、読みたいな。読めば、俺もクソではなくなり、俺の人生もお通じよく再スタートするかもしれない。

ちなみに本書の発売日の4月30日はレスターの命日である。実はあとから知ったので狙ったわけではないけどね。

 

出版の言い出しっぺ:大森秀樹(SuperHeadz.Tokyo)

 

「君はレスターを読むのか、読まないのか?」

~レスター・バングスの書評が朝日新聞に載ったことをお祝いして~

私は、この本を絶対に読んだほうがいいよ、とアンタに強く言えない。この本の主人公であるレスター・バングスはロック評論家というマイナーな評論家であって(メジャーな評論家って何だ?)、生前に評論集は出版されておらず、本格的な小説を書くという野望も結局は実現できなかった。そのくせ33歳なんかで死んだので、映画のフィルムが途中で切れたみたいな人生で、そもそも伝記が書かれたことが不思議なくらいだ。じゃあ、アンタは読まないでいいのかな。いや、待ってくれ。なんでこんな男の伝記が書かれて、なんで英語版の出版から20年以上もたってノコノコ日本語版が出るんだろう?ちょっとその謎を知りたくないか。なんだかムズムズしてきたなら、アンタはこの本に選ばれし者だ。さあ、そこに座ってちょっと話を聞いてくれ。

この本のハイライトは2つある。

1つは15歳の著者(ジムさん)が死の2週間前のレスターに会いに行く場面。当時のレスターはロック評論という仕事に懐疑的になっていた時期だが、15歳の小僧に向かって本心を吐露する。「いまになって振り返ってみても、俺がこの仕事をするようになったのは言ってみれば必然なんだ。なにしろ音楽と文章こそが俺にとって最大の執着だったわけだからね。狂信的なレコード蒐集家、そして狂信的なリスナーとしての延長線上にあったのがこれだった。そこに生まれる狂信的な意見を誰彼かまわず聞かせたいって話だからね」何でもない子どもの自分に対して、ヒーローはまったく手加減せず本当の話をしてくれる。それが少年の心にどんなに決定的なことであるかは、アンタにもわかるはずだ。これはヒーロー太宰治に会いに行った吉本隆明少年の場合も同じだったよな。太宰は行きつけの飲み屋に連れて行って「君、男の本質はなんだかわかるかい」と吉本少年に尋ね、「それは母性だ」と教えた。

つづきを読む

 誰の思春期にも、自分勝手にカスタマイズした自分だけのヒーローがいる。それだけならそれは「はしか」のように過ぎ去っていくものだが、何かの契機によって、ヒーローそのものの本質に触れることになれば、それは「事件」となって、生涯にわたり影響を及ぼす。たった一回の逢瀬であっても、ヒーローの本質には常に優しさと悲しさと気遣いと孤独への決心が一体となっているから、それに一旦触ってしまったら、心のどこか深いところの磁石が固定されてしまうのだ。ジムさんが伝記を書き上げた労力は一回の逢瀬から得たものと見合うものだった。1分の出会いが50年の恋を作り、3分の歌が100年の熱狂をつくる。それを知っているアンタにはわかるはずだ。

 レスターの悲劇とは「思春期の衝動として追い求めたスリルを、哲学に、でなければ生き様に、あるいは美学に消化させよう」と願ってやまなかったことだ。と、「レスターを知る人」が言う。そんなことに入れ込むと必ず破綻するぞと彼は警告するが、まさにそれこそがレスターだし、ジム少年が受け取ったものもそれだし、我々がこの本から受け取れる唯一のこともそれだ。「レスターを知る人」はそれを悲劇と言うが、それは悲劇なんかではなく生きる目的なんだ。君はわかっちゃいないんだよ!

 この本のもう1つのハイライトは、レスターが彼女へ出したラブレターだ。

ナンシーへ

おまえが嫌いだ!その(くだらなく)(愚かしい)アティテュードが嫌いだ。
おまえの仕事が、そこに費やす時間が、そしておまえがそれを好き好んでやっている事実が嫌いだ。

おまえの神経症が嫌いだ。
(おまえのボーイフレンドの)デニスが嫌いだ。
おまえののろまなところが嫌いだ。
おまえの野心、そこに生まれる不満、そんなあれこれを、
俺との距離を置こうとするときの言い訳にする、
あの奇妙な「道徳的規範」というメロドラマめいたやり口が嫌いだ。
おまえに会えない時間が嫌いだ。
おまえに会えずに落ち込む俺を見下しながら「はいはい」と
諭そうとする偉そうな顔が嫌いだ。
おまえの家が嫌いだ。
おまえの車が嫌いだ。
おまえの弟のピアノの練習が嫌いだ。
おまえの兄さんの目に浮かぶサイケデリックな光が嫌いだ。
イーヤのことが嫌いだ。(※イーヤはレスターを気に入ってくれていたナンシーのおばあちゃん)
ハロルド・ピンターが嫌いだ(※著名な劇作家。ナンシーは演劇をやってた)
ツェッペリンが嫌いだ(デトロイト行きの飛行機もろとも墜落しちまえばいい)(※ナンシーはレッド・ツェッペリンのファンだった)
おまえに会いたい
と伝えるたびに理屈っぽくなるおまえの態度が嫌いだ。
おまえに死ぬほど会いたくなるのが嫌いだ。
愛を込めて、レスター

(翻訳:田内 万里夫)
(※は私の注釈です)

 

こんな言葉がルー・リードのアルバムジャケットに書かれて届けられたらど~したらいい?
ナンシーとレスターは結局別れるが(レスターはそりゃあ誰とも長く続かない)、別れて5年もたって、ナンシーは他の男と結婚し、レスターにも新しい彼女ができているのに、彼が生前計画していた初の評論集には「ナンシーへ、世界中の愛を込めて」と献辞を入れようとしていた(今の彼女じゃねーんだよね~)。こーいう、その人の実績とはまるで関係しない部分に(これを人間的魅力と言うと違う気もするが)どうしても引っかかってしまう。レスターの死後、彼が計画していた本は少し形を変えて出版されたが(トンカチで次に出ます!)、編集者はこの献辞をそのまま採用した。よって、前カノであるナンシーの名も、彼女自身は決して望んでいなかったろうけど、ロック評論史の中に永遠に残ることになった。

ジムさんが伝記を書く決意をしたのは、初めて自分という人間を認めて、本気でちゃんと対峙してくれたのがレスターだったからだ。さて、俺は、死ぬまでにそんな関係を誰かと持てるだろうか。そして、アンタはどうだろう。

 

HO(トンカチ)

 

書評

2024年7月12日(土)の朝日新聞の書評欄に、美術評論家の椹木野衣(さわらぎのい)さんによる書評が掲載されました。

書評はこちら

偉大なアメリカの作家にふさわしい本がついに完成した。 『Let It Blurt』は、機知と世界、レスター・バングスの猛烈な精神を巡る私的な旅だ。ジム・デロガティスは、待望のレスターの伝記を、彼の爆発力と責任感を持って見事に世に送り出した。この本こそがロックンロールだ。

ー キャメロン・クロウ
(映画「あの頃ペニー・レインと」の脚本家/監督)

エルヴィスやジョン・レノンの弔辞から真夜中に書き上げたレコード評に至るまで、彼が書くものはすべて進撃だった。紙面上のパフォーマンスアーティストであるレスターは、ロック批評や個人的な魂の吐露をスタンダップコメディに変えた。若くして亡くなったもう一人の分類不能なアメリカ人、サム・キニソンのように、彼はユーモアこそが最も大いなる救いの道だと考えていた。ルー・リードとの確執、『Creem』編集者としての立場、ケルアック的な執筆形態、パンク・シンガーになるための彼自身の気の遠くなるような探求、これらすべてが、語られることを待っていた。

ジェームズ・ウォルコット
(ジャーナリスト、文化批評家)

『Let It Blurt』は、ロックンロールにおいて欠かすことのできない物語を、大きな愛情と華麗さで語っている。レスター・バングスの本質、謎めいた人物像、偉大な作家性、悲劇的な存在、それらを伝える見事な伝記。

ジョナサン・レセム
(作家、小説『マザーレス・ブルックリン』著者)

『Let It Blurt』は、ジャーナリスト且つ詩人であり、ロック批評の未来を築いたレスター・バングス(1949-82)の、騒々しく真っ直ぐな伝記である。ロックンロールについて、これほど情熱的に、これほど説得力を持って、これほど突き抜けた文章を書き、これほど懸命に生きた作家はいない。彼はロックンロールを生き、酒とドラッグを水のように飲み干し、『ローリング・ストーン』、『Creem』、『The Village Voice』で紙面から噴出するような散文で情熱を語った。レスターは70年代、より荒々しく、よりラウドで、よりエレクトリックで、より生き生きとしたサウンドを求めて活動し、その過程でヘヴィ・メタルとパンクの美学を描き、定義した。『Let It Blurt』は、レスター・バングスの魅惑的な(しばしば下品で食欲の失せるものではあるが)半生を丹念に調査した記録であり、最も激動的で創造的だった時代のロック批評とロック文化の窓でもある。レスターによる未発表の作品、陽気な「ロック批評家になる方法」も収録されており、怪しげでフリーダムな彼の商売の秘密が明かされている。

原書『LET IT BLURT』出版社Crown

レスター・バングスは生き急ぎ、若くして死に、美しい作品を残した。これは、ロックンロールの才能あるライターであり、レスターの世界 音楽とジャーナリズム の両方を知り尽くす著者ジム・デロガティスによる、偉大な批評家へ捧げた悲歌である。

ロジャー・イーバート
(映画評論家)

彼を知る者にとって、レスター・バングスは最高に制御不能で偉大な伝説であった。 ひとつの本が彼の精神と身体の全容をとらえるのは不可能かもしれない。だが『Let It Blurt』はその核心に鋭く切り込む。

リチャード・メルツァー
(ロック評論家、「ロック批評」を初めて行った人物)

大衆メディアの注目度の低さによってレスター・バングスの作品が忘れ去られるようなことがあるとすれば、それはロックンロール文化全体にとっての大惨事だ。それを防ぐため、ジム・デロガティスは全力を尽くした。

ミック・ファーレン
(ロックミュージシャン、ジャーナリスト


今後の刊行予定

2024年夏

Psychotic Reactions and Carburetor Dung/Lester Bangs

2024年冬

Main Lines,Blood Feasts,and Bad Taste/Lester Bangs


トートバッグ、Tシャツは近日公開する予定です。

© 2000 by Jim DeRogatis
This edition is published by arrangement with Sterling Lord Literistic, Inc. and Tuttle-Mori Agency, Inc.

© 2000 by Mario Tauchi 
© TONKACHI,Ltd.

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