私たちの「おさかなごはん」


トンカチのメンバーに、あなたが「おさかなごはん」と聞いて思い出す個人的なエピソードを教えてちょうだいと尋ねた。これらはゴフスタインの本とは全く関係ないけれど、読んでいると何か少しだけ関係ある気もしてくるのが不思議です。錯覚かな~?


--

母が作る醤油煮込みの魚ごはんが大好きだった。今でも実家に帰ると必ず作ってくれる。ある日、母が私に任務を与えた。料理するから池で魚を捕まえてきてちょうだい。私は石みたいに固まった。怖くて怖くて、素手で触れないからビニール袋を裏返して必死で捕まえようとしたけれど、魚はすいすい逃げていく。池の水は大げさに飛び散るわ、大騒ぎになった。やがて業を煮やした母がやってきて一瞬で魚を捕まえて去っていった。こうして私の「おさかなごはん」の思い出には、母ってすごい!がくっついた。


YS(ボンチャイナ)


--

骨抜きの魚がスーパーで売られはじめて、当たり前になってきた頃。お父さんは魚が食卓に並ぶ度に、「この魚、骨入ってる〜?」とお母さんに聞く。「魚なんだから骨入ってて当たり前でしょ!」と毎回怒られていた。骨なしの魚が出た時でも!これが私の「おさかなごはん」。


YA(歌手)


--

弟が小さい頃、おしゃべりが少ない子だったけれど、「かちゅおぶしに、ちょーゆ(鰹節に醤油)」だけははっきり言えてた。鰹節に海苔を載せた時は、当時は父の髪が真っ黒でセンター分けだったので、それにそっくりだった。「おとうちゃまごはん」と呼んでいた。私の弟の元祖「おさかなごはん」。


KM(お姉ちゃん)


--

丸い蛍光灯がぶらさがっている掘りごたつの茶の間で、いつもご飯を食べていた。

僕の右がお母さん、左が親父、前の席の左に上の姉さん、右に下の姉さんが並んで座っていて、僕の後ろに白黒のテレビがあった。僕の左の柱の上、神棚の横には丸髷に結ったおばあちゃん(親父のお母さん、僕は会ったことがない)の額に入った白黒写真が飾ってあった。美人とも不美人とも、優しそうとも厳しそうとも言えない感じの人だった。その写真について親父から説明された記憶はない。


ご飯中によく魚の骨が刺さった。ごはんを飲み込んだり、水を飲んだりいろいろした。なかなか取れない時もあった。小さいころはよく刺さった。刺さってる間はすごく不安だった。それからすごく気をつけるようになって、刺さらなくなった。


でも、慎重になったからではなくて、あの頃のように喉が柔らかくないから刺さらないんだなと思っている。

そーいう夢を見た。


あと、今思い出したんだけど、僕は魚をすごく上手に食べると大人になっても褒められていた。東京に来てから仕事で連れていかれた料理屋の人からも褒めらた。けど、もう誰も褒めてくれなくなった。きれいな食べ方じゃなくなったんだと思う。

これは夢ではない。


HO(ご隠居)

--


給食に白身魚のフライが出て、骨が喉に刺さって痛くて痛くて、皆はとっくに掃除をしているんだけど、私は1人で泣きながらフライと格闘してた。だから白身魚のフライが嫌い。


MS(赤ちゃん)

--


小さい時、お魚はあまり好きではなくて、母が全部骨を取ってくれないと食べなかった。ある日、おばちゃん家でご飯の時に大きな鯛が出て、いらないと言ったらおじちゃんが「骨はないから食べてごらん」と言うので食べたところ大嘘で、大きな骨が喉に刺さって大泣き。以来、魚の骨と大人の嘘に敏感になった。


YK(タコ社長)

--


なんだか皆さん、骨が刺さった記憶がおおいなあ。もっと感動的な話はないのかい!?

傑作「おさかなごはん」はこちらでお買い求めになれます。


特設サイト「静かで強い、おばあちゃんの毎日。」はこちら
M.b.goffsteinTonkachi books