あの頃、私も15歳だった。MIKEY BIRTHDAY TO YOU!

マイキー生誕15周年に合わせて、15歳の頃についてまわりの人に聞いてみた。
※昨年も同じ様な企画をやったけど、イラストのマイキーが少し大きくなってます。わかります???

 

●私が15歳だった頃


駅でミスドを食べるのがお洒落だと思っていて友達とよく行ってた。

 

生田斗真が大好きだった。

 

東日本大震災があった。

 

ふざけた大人が目についた。

 

いつも不機嫌な扱いにくい少女だった、と母曰く。

 

ただの田舎の中3だった。

 

もう高1だった。寮では消灯時間が決められていたので、シャワーの時間が足らなくて、私は暗闇の中でシャワーを浴びた。それと、食堂の唐揚げ。この2つが思い出ベスト2!

 

高齢化社会だと言われれば「介護士になる!」、国際社会と言われれば「通訳に!」と、将来の夢はころころ変わった。

 

学校の寮の4人部屋で暮らしていた。2人じゃ息がつまる、3人じゃ割れる、4人じゃなきゃだめなんだな。

 

吉本ばななの『TUGUMI』が好きだった。内容より、本の表紙の紙質、描いてある花や鳥が好きで部屋に飾ってた。

 

あなたが一番つまらなそうな顔してるよと先生に言われた。

 

目が悪く、よく目を細めていたので、目つきが悪い子と言われていたのを、実はかなり気にしていて、気合いを入れてコンタクトを作った。

 

基本、毎日ふざけていた。すべての教科書に漫画のカバーをつけて、先生に注意されたら「え~っ!勉強しとるのに!ひど~いわ~!差別や~!」って叫んで授業の進行を台無しにする様なガキであった。

 

クラスのみんなが私の大好物がミカンというのを知っていたので、給食にミカンが出た時は優先的におかわりさせてくれた。あとみんなが一人一粒恵んでくれていつもお皿がミカンの山だった。

 

学校と塾が生活の全てだった。古いビルにある学習塾で、窓がなくて、埃っぽくて、蛍光灯のあかりが嫌な感じの教室で必死に勉強していた。塾の先生が生徒を下の名前で呼んだりする親しげな感じに慣れなくて、いつも居心地が悪かった。

 

中高一貫校だったので受験もなく、世間は変わるのにわたしは何にも変わらずポヤポヤしていた。

 

ドラマには派手で機嫌も景気も良さそうな大人達がたくさん出演していて、バラエティは今と比べると演出が過多でがちゃがちゃしていた。中3の私はテレビを見てるのが何となくしんどいような、そんな時代だった。

 

親の言う通りにはならない、不良っぽいことに憧れてる不良になれない子供でした。周りに流されてたなあ~。

 

数学の授業で、もっと頑張ってください!って先生に何度も言われてた。何度も、何度も。

 

部活に明け暮れて日焼けで真っ黒だった。

 

職員室の常連で、よく怒られたが、大体怒っている先生はどっか笑ってる感じがした。一人だけ怖く怒る人がいたが、あれは最低だな。怒る時はどっか笑ってないとダメだな。あっちは大人なんだから。

 

ソフトテニス部の引退試合に集中してたけど、それが終わっても全然受験モードになれなかった。

 

田舎だったので、幼稚園から中学校まで12年間同じメンバーだった。それ以外の人と接することがなかったので、高校入学はドキドキすぎて吐きそうだった。

 

学校が大嫌いで勉強もやっていなかったし、何をやってたんだろう、、。

 

友達関係が何よりも大事で、学校にいる間だけじゃなく、家に帰ってからも毎日1〜2時間は友達と電話して、中身のあるような無いような、けどきっとその頃の私にとってはなくてはならない、取り留めのない話をずーっとしいた。

 

1年間で背が10センチ以上伸びた時期で、成長痛でスネが痛くて寝られなかったことを思い出した。

 

K-POPが流行っていて、推しは誰、どのグループが一番いいかで喧嘩してた。

 

部活でバンドをしていたけど、思うように歌えなかった。合宿中のお風呂の中でふざけて思いっきり歌ったら、友だちにそれだよ!と言われた。

 

高校に入学して、ダンスを復活させて踊りまくってた。それからずっと踊り続けて今に至る。

 

英語の授業の時に皆で1ヶ月間同じ歌を歌った。ある月に「It’s my life」が選ばれて、クラス全員で歌った。あれは何だったんだろう。

 

「塾終わったよ〜!」と母にメールすると、天気が悪くても、母と犬が一緒に迎えに来てくれた。私は自転車をゆっくり漕ぎながら、母と犬は早歩きしながら、今日の出来事を話しながら帰った。

Lisa larson