【マリーナとの対話。】

 

あなたの生まれた場所はどんなところでしたか。

 

フランスのブルターニュ地方(フランスの最西端)のカンペールレという古くからの港町に生まれました。ここに住む人々は、自身のルーツであるブルトン文化に深い帰属意識があって、ここでの生活に対して強い誇りを持っています。私自身もこの土地と深いつながりを感じています。
例えば、私の動物たちはリアルな形をしていますが、その色はリアルではありません。それらは抽象的で、動き回り、固定できず、まるで車窓から撮影した風景のようです。私は、これらの色彩は、この土地によって鍛えられ、与えられたものであり、この場所に帰属していると感じています。私が、この土地と、フランスのその他の土地からが感じ取る差異こそが、この感覚を作り出しています。

 

あなたの家族はどんな人達でしたか。

 

母は農家の出身です。料理教室の先生もしていましたが、私と妹を引き連れて、暇さえあれば農作業をしていました。父は、ずっと食肉加工工場で働いていました。彼らは質素な家庭で生まれ育ちましたが、いろいろなことに興味を持ち、とてもオープンで明るい性格の持ち主でした。両親は私達に野心を持たせて、物事は実力で獲得していくものだということを教えました。

父は、私が幼いうちから一緒に森に入って、狩猟の世界のありのままを見せてくれました。この体験は私のあらゆる面に大きな影響を与え、今につながっています。私はすぐに、銃から、カメラとスケッチブックに持ち替えましたが、そこからは母がいつも背中を押してくれました。その頃、姉は、柔道やサンボ、レスリングなどの格闘技に熱中し、鍛錬によって強くなっていました。だから、デッサンや絵画、彫刻といった創作活動も、それと同じように、鍛錬して強くなる必要があるのだと考えていました。


父は、夕方になると私たちを連れ出して、様々な種類の植物や鳥を見せ、動物がいた目印を教えるのが日課でした。夏になると、麦畑の収穫が終わった夕暮れ時に、野ネズミを狩るキツネを見に行きました。私はこの見物が大好きで、後年、大学の卒論で「フランスとヨーロッパにおけるアカギツネの生態」を選んだほどです。

 

子供の頃の話を聞かせてください。

 

いつも動物に囲まれていました。小さい頃、お祭りでモルモットが当たって、祖母におねだりして2匹目を飼ってもらい、そこから子供をたくさん繁殖させました。祖父母のうさぎと一緒に小屋に入れてね。狩猟用の犬やネズミ退治用の猫もいました。父がフェレットを飼っていて、よく撫でてました。撫でてやらないと攻撃的になるんです。妹がレスリング大会でラムを勝ち取ってきたこともあった。とにかく動物だらけでした。母は大きな鳥小屋で、鶏や七面鳥やアヒルを飼っていて、祖父はいつも私に、鶏の絵を描いて持って来いって言ってましたね。牛の乳搾りや子豚の世話など、牧場ではやることがたくさんあって、動物の世話をするのは好きでした。

12歳の時、初めて描いた絵が売れて、そのお金で魚を買いました。きれいな水槽を作って、10匹ほど魚を飼いました。それから15歳の頃、爬虫類に興味を持って、20年くらい生きているヒメガメを飼って、次にヘビ、そして今は二十歳のトカゲを飼っています。

 

学校ではどうでしたか。

 

自分でものごとを決めるのが好きで、ルールのようなものを押し付けられるのは嫌いでした。私は何でもできる生徒でしたが、権威には我慢がなりませんでした。その後、初めて季節労働のアルバイトをした時、私は上司を持つことができないとすぐに理解しました。グラフィックやアートを学ぶようになってからも、本当に勉強が楽しいとは思ったことはありませんでした。

 

学校時代のあなたに影響を与えた身近な人について。

 

私に読書を教えてくれた祖父のこと。最終学年の時の理科の先生。彼は毎週月曜日の朝に、週末に鹿を何頭見たか尋ねてきました。そして退屈な高校生活の一筋の光のような存在だった美術の教師のこと。彼女の話は私が面白いと思う数少ない事の1つでした。でも、ほとんどが嫌いな人ばかりでしたね。

 

どうやって作品を作るようになりましたか。

 

全ては自然な流れでした。8歳で油絵を描くようになって、風景や動物を描いていました。その後、森に集中するようになり、特に木に集中して、何層にも重ねて描くようになりました。私は、好きなものを描くことが進歩につながるのだ、と知りました。私の絵が初めて、家族の友人に売れてからは、夏になると人通りの多い場所や観光地で絵を描いて、その日に描いたものがたいてい売れていきました。学校を出てからは、すぐにパリのギャラリーとの仕事がはじまりました。

 

あなたには子供がいますね。

 

私には4歳と17ヶ月の子供がいます。フランスでは出産はあまりに医療化されていて、まるで自然なことではないかのように女性は常に隠されています。動物は誰かも教わらないけれどうまくやるんです。私は子供の頃から、動物の出産をたくさん見てきたので、それがすごく役に立ちました。

子供たちとは、すぐに一緒に絵を描くようになりました。大きなほうの子は彫刻も一緒にやるようになって、石やヘビを掘っています。私が釜を開けるときは釉薬の仕上がりを見に来て大喜びです。子供と一緒に仕事をするようになって、自分がどこに向かっているのかがよくわかるようになりました。

 

 

今、頭に浮かんだことを教えてください。

 

最近は川の水位が低いこと。
この時期にまだ、森でキツツキを見かけること。
新しい窯のための電気をどうしようかな。

 

【創作についての断片】

 

私にとっては、動物や植物は多ければ多いほどいいのです。私はいつもそれにまみれて生きてきました。

人間と野生の間には、寓話やイラストのように交差する場所があります。

私は、野生の世界での知見をプラスチック・サポートのように使って、人間の世界で観察したことを考えています。

動物のライフサイクルは私達より短く、私の両親は食べるために動物を飼育しており、屠殺の問題につながります。私はいつも、このことをライフサイクルの一部として考えてきました。あるものが死ぬことで、他のものが生きるのです。

私にとっての作品作りは、自分の環境を記録することです。だから、動物にまみれてきた私は、たくさんの動物をそのライフステージごとに描きます。牛の出産も、屠殺直前の鶏も。

私は父が狩りで殺した動物をすべて描きました。最後の瞬間を固定することで魂を鎮めたかったのです。

動物を食べるには、殺して切り刻まなくてはなりません。だから、動物を作品化するということは、自分が長年切り刻んできたものを、ふたたび組み立て直す作業だと思うのです。

私は否定せず、全て受け入れて始めます。朝のニュースで悲しい気持ちになる日もあれば、午後に犬の散歩をしていて森の中で鹿の群れに出くわして、その嬉しさが作品に反映されることもあります。動物を作品化するということは、物語を語るように、単調であってはならず、矛盾を受け入れ、逆説を相手にしなければなければなりません。

私の解釈に曖昧さがあると、動物たちが生き生きと動き出します。今日はこんな光で攻撃的に見えるけれど、明日は違う角度からもっと優しい世界になる、というように。

作品を形にして過程は、様々な感情が湧いてきます。まず、創造的な陶酔感があり、新しいカタチを生み出す喜び、一種の舞踏的なエネルギーあり、素材に生命が与えられていく喜びがある。そして、作品が形になるにつれ、私は新しいカタチと共に、そこに存在しなければならないという、充足感と使命感、そして宥和感のようなものが生まれます。

創作の出発点では、スケッチが湧き出る前に、ある種の出会いがあります。それは、ちょっとした冗談や風刺への欲求であったり、庭で鳥と出会った、というようなことです。

絵を描くときは彫刻から一歩さがり、彫刻をするときは絵のことを考えます。私には2つが必要です。

陶芸にのめり込んで11年になりますが、決して抜け出せません。陶芸は広大な宇宙であり、私の探究は終わらないのです。今も私は多くを学び、毎回、まるで生まれ変わったように家に帰ります。

私の作品を見た人がどんなストーリーを持つか、それが重要です。そのために私は、世界の単純化した説明ではなく、解釈を求めているのです。

自然は、色となって、動物の皮に滴り落ちます。それが風景の気となるのです。

Marina le gall