
『海の向こうで(原題:Across the Sea)』は、1968年に本国アメリカで出版された作者にとって4つ目の作品だ。日本でも有名な2つの本『ブルッキーと彼女の子羊(原題:Brookie and Her Lamb)』と『人形づくりのゴールディー(原題:Goldie the Dollmaker)』の間に出版されたことと、その静かで内省的な内容から、見過ごされがちな作品であったが、近年では、スピリチュアルでイマジネーティブな作風が、作者のルーツを知るものとして再評価されている。
この本は、これまで日本未刊行で幻の本となっていたこともあり、我々トンカチとしては絶対に出したい本だった。しかもこの本はゴススタインのどの本とも違っていながら、全ての本に共通する最も深いところを流れる無意識を集めたようにも思え、今やゴフスタイン理解にとって欠くことができない本と言える。
物語は5つのエピソードからなる。それぞれが繋がっているようで、はっきり繋がっているわけではない。記憶と夢が溶けあって物語の関係が前後するように、古い記憶と夢に同じように靄がかかり、こちら側とあちら側の区別が判然としない。読者はずっと夢の中を移動していく。
この5つのエピソードに、作者ゴフスタインは強いこだわりを持っていたはずだ。私たちは誰もが、自分のコアになる夢を持っている。普段は意識されることがないが、我々は、知らないうちに何度も何度も同じ夢に返っていく。結局は、全てのことが、そこに理由を求め、まるで水が低いところに流れていくように、全てはその夢に流れ着く。
それは微かに覚えているおじいちゃんも思い出かもしれないし、お父さんに抱きしめられた時の香りかもしれないし、あの時、空を横切った鳥の姿かもしれない。この本はゴフスタインにとっての、そんな夢の集まるところ、夢の行き止まり、あるいは、夢の集積所のような場所だ。
アーチストとは、自分自身を遥かに超えたところにある何かに手をのばして、それを読者に差し出す人だ、と彼女は言う。「海のむこうで」でも、1968年の彼女の手が届くギリギリのところ、指先が少しだけ触れるか触れないかのところを、必死に描こうとしている。諦めないで跳ね返されても向かっていく。その姿が私たちに痛いほど見えてしまうので、私たちは彼女の本の前で「真剣」にならざるを得ないのだ。
翻訳は石田ゆり子さんにお願いしたいと最初から思っていたら、想いが通じた。ゴフスタインと石田ゆり子さんの名前が並ぶことを想像して、もう本が出来た気になった。
これは石田さんにとって初めての翻訳だ。彼女は実に堂々と翻訳を完成させ、実に潔く、その手から離して、私たちに渡してくれた。一つのことに新しく挑戦すれば、必ずいいことばかりじゃない。女優という仕事を長年続けてきた彼女は、パブリックイメージを持つ人が、新しいことに挑戦していく事で、いったい何を引き起こすのか、そのことをよく知っている。ゴフスタインもそういう人だった。
彼女たちは、過去と潔く別れる。名声の上に安住しない。批判を恐れない。常に新しくはじめる。そして手が届くギリギリまで腕を伸ばし続け、得たものを全て、あなたに差し出すのだ。
MS(トンカチ)