「私のリサ・ラーソン」について、横で見ていた人の解説
私はトンカチの彼女らの前職時代のボスで、日本でのリサの立ち上がりにも関わっている。今は少し距離をおいたところで彼女らの仕事を眺めている、言わば最も近い傍観者だ。今回の企画にも関わったので、傍観者の視点で本展を解説する。
本展は、2024年3月11日にリサ・ラーソンが亡くなったことで、次回に予定されていた展覧会を延期し急遽開催することになった。タイトルは最初から「私のリサ・ラーソン」と決めていて、とにかくそれしかないのだ。「私の」の「私」とは誰なのか?普通に考えると、トンカチという会社のスタートから現在までリサと共に仕事をしてきた佐々木と勝木が「私」ということになる。しかしここで想定している私は、そうではなくて、特定しない「私」だ。つまり「あなた」と私と「あのこ」の「私」だ。
リサの人生の後期は「日本のリサ・ラーソン」が生まれ、牽引した時代だったと言っていいだろう。しかしこれは単純ではなく、複雑な要素が絡み合っている。まずはトンカチの佐々木がリサと築いた不思議な関係。私は当時近くで見ていたが、それはビジネスのパートナーという関係とも、有名人とファンという関係とも、母と娘とも、違った関係だった。それをなんといえばいいのかわからないが、特筆すべきなのは、リサが強い「思いやり」をもって佐々木とトンカチ(当時はパワーショベルだったが)を見ていたことだと思う。この「思いやり」が関係性のベースとしてあったから、私たちはのびのびとアイデアを出して形にしていくことができたのだ。それは仕事であったはずだが、仕事要素が動機とはなり得なかったのだ。
また、リサと夫のグンナルとの関係が独特だった。グンナルはずっとリサのメンターでもあったが、たぶんのそのグンナルが私たちのオファーに対して否定的であったならリサは絶対に仕事をしなかったはずだ。彼はリサにとって、この仕事が必要だと認めたのだろう。それもなぜかはわからないが、きっとグンナルの、リサへの「思いやり」だったのではないか。
そして私たちがやろうとしたことをリサは受け入れてくれた、というよりすごく楽しんでくれた。そのことが、私たちを明るい雰囲気に包んだ。だから今まで、仕事という意識を消したまま、仕事をすることができたのだ。私たちはそうでない仕事はできなかったと思う。この3つの要素が絡み合ったことで、結果としてリサの世界は拡張され、日本のリサ・ラーソンは生まれた。
本展は、それを可視化するような展示だ。リサと佐々木の関係性、リサとグンナルの関係性、トンカチが考えてリサが楽しんでくれたアイデア、そしてリサがその手で具現化したものたち。それらの要素がむじゃきに絡み合っている。
一人のアーチストとの関係が、このように発展することは、実はあまりないことだ。出来上がった作品は常に作家一人のものであり、他の人々は私のような傍観者である。しかし日本のリサ・ラーソンはそうではなかった。これは様々な化学反応が引き起こした結果であり、登場人物は誰もがこれは自分の作品であり、これは自分史の1ページだと思っている。だからこの追悼展は「私のリサ・ラーソン」というタイトル以外は考えられないのだ。そしてこれはあなたにとっても、可能性としての「私のリサ・ラーソン」なのだ。
スウェーデンのホテルにて
H.O
私のリサ・ラーソン(追悼リサ・ラーソン展)
詳しくはこちら作家名:Lisa Larson(リサ・ラーソン)
会期:2024年4月12日(金)- 2024年6月2日(日)
開廊時間:
水・木・金: 12時-19時(WEBサイトより予約が必要です)
土・日・祝日: 12時-19時(予約の必要はありません)ご予約はこちら
休廊日:月・火(祝祭日の場合は営業します)
会場: のこぎり
〒150-0033東京都渋谷区猿楽町5-17第一西尾ビル2階
※エレベーターはありません。
nokogiri@tonkachi.co.jp