Spiritual Journey to Lisa
リサに向かう心の旅

まず礼拝堂の隣の控室に入る。そこで様々な懐かしい顔に合う。はじめての顔のほうが少ないので、リサによって繋がれた私たちの友好関係も知らないうちにそれなりになっていたのだと知る。皆、一様に歳を重ねて、同じように私たちも歳を重ねた。リサ存命中に生まれた最後の曾孫になるイングリットちゃんはまだ4ヶ月。お母さんに抱かれておとなしい。棺を中央にして右側の親族たちの席には総勢40人以上が座る。リサはこれだけの数の人々に、ある種の責任感を感じて生きてきたのだと思うと、私との違いが宇宙的な距離に思える。

 

お葬式は午後1時丁度からはじまった。

まず最初に音楽が流れる。17世紀のイタリアの作曲家、アルビノーニのアダージョ。会場の上に設置されているパイプオルガンの後ろに数十台のスピーカーが壁のように積み重なっていてむき出しになったウーファーがいくつも見える。まるでジャマイカのサウンドシステムのような光景で、世界遺産の歴史的建造物にとっては違和感がありそうなのに不思議とない。ここからアルビノーニの悲しい音楽が流れるが、ビンテージらしいいい音がする。

 

式は一人の女性牧師が進行する。まず牧師が話し始める。これらはすべてスウェーデン語で行われるので、我々数人の日本人の参列者のために日本語の翻訳が配られる。牧師の短い話しが終わると、リサの長男マティアスの次女であるレオナがギタリストを従えて登場する。このギタリストは彼女のボーイフレンドで、二人で音楽ユニットを組んでいるという。前に見たレオナは子供だったけれど、もう子供じゃない。アコースティックギターのシンプルなフレーズにフォーキーな優しい曲を二人で歌う。クラシカルなテイストだが、紛れもなく今の音楽である。音楽はさっきのスピーカーではなく、正面に設置された最新のスピーカーから流れ、現代的な音がする。

 

音楽が終わると、牧師が現れ、リサのこれまでの人生のストーリーを読み上げていく。ここで聞く話は、事前に牧師が親族を取材し、リサの人生をまとめあげたものだという。ここでは、牧師は人生の編集者なのだ。

 

私たちが知っている話も知らない話も、忘れていた話もあった。その人が誰であれ、その人と生涯を通じてずっと関わった人より、人生の一時期を共に過ごした人がほとんどであるはずだ。だからこのように故人の生涯について通しで語ってもらうことで、参列者はその人物について改めて知ることができるのだ。彼らは自分が知らなかった部分を埋め合わせ、その人について了解し直すわけだ。ここでは、葬儀の参列者とは、足らないパズルのピースを埋めて完成に立ち会う人のことだ。

 

牧師が話したストーリーを振り返って、いくつか拾い上げて自分なりのコメントを付けてみる。

 

まずリサの人生に決定的な影響を与えた事として、「2歳で母を失ったこと」があげられる。私は母の名がヨハンナであったことを改めて聞いて、リサは自身の長女にヨハンナと名付けることで、母を蘇らせようとしたのだと思った。子供は親自身の人生を救済する。

 

夫となるグンナルとの出会いの話も出てくる。リサがクリスマスバザーで陶器を出展していたところに黒服の美大生グンナルが颯爽と現れ「灰皿はあるかい」と聞く。リサが自慢の作品を差し出すと、そこにタバコを捨てて「ありがとう」といって去っていったというエピソード。ジョンとヨーコの出会いのエピソードにも匹敵する有名な話だ。そしてリサとグンナルは、まさにジョンとヨーコのもう1つのバリエーションのように深く影響を与え合っていく。牧師は「二人は永遠の共同体」になったと述べている。牧師はゆっくりとしたペースで高くもなく低くもない声で朗読し、ユーモラスな表現もところどころに混ぜて、参列者から笑いが起きる。ここでは、牧師はプロの話術を持つのだ。

 

リサはスティグ・リンドベリに見出され、グスタフスベリ社のスターに上りつめていく。リサの作品はどこの家庭にも必ず1つはあるというまでにポピュラーな存在になっていく。しかし、当時のリサは「フィギュアを作って成功することに大きな意義を感じておらず」、仕事の動機となったのは、むしろ、「職人たちの雇用と生活に対して自分の仕事が大きく関わっていることから、それに対する責任感が大きかった」と述べられる。

 

私たちが知るリサは、他人を気にするということにかけては、実際にそうだった。自分の子供達の仕事を気にかけ、スウェーデンの工房の仕事を気にかけ、日本の職人のことまで気にかけた。職人さんの都合でこうなると言えば必ず代替案を検討してくれた。他人のことを気にしすぎるのは彼女の特筆すべき美徳でもあったが、「自分自身を苦しめることにもなった」と述べられる。「ファンレターの返事をすぐに出せないこと」まで気に病んでいた。他人の要望には応えようとしてしまうのだ。

 

夫のグンナルには「工場の商業的な欲求に屈せず、自分のやりたいことを貫いたほうがいい」とアドバイスされたりもする。しかし、私たちが出会った頃のリサは、決断に関しては早く迷いがなく、そして確実で、しかも周りを気にせず判断していた。これはリサが後年になって獲得したものなのか、それともこと仕事上(芸術上の)の決断に関しては常にそうだったのかはわからない。けれど、常に気を遣う人であったことは確かで、例えば我々がリサの家に行くときは、必ず我々の商品がメインに飾られていたり、ホテルにまで花を摘んで届けてくれたり、予習することも欠かさなかった。最後にアトリエを訪れたときには、まだパワーショベル時代(トンカチの前身となるカメラを作る会社)のカメラのパッケージの上に試作の作品が置かれていたり、佐々木(トンカチのデザイナー)のポートレートが貼られていたりした。陶器作品をプレゼントしてくれることも何度かあったが、毎回、その人にはこれだと真剣に選んでくれたことがわかるセレクトだった。この「気づかい」がリサを他の人間とは全く違う人にしていたし、私たちが彼女を思い出すときに最初に浮かび上がってくるのは、そこから発せられた数々だ。

 

私の考えるリサは、他人の要望に応えることが好きだったと思う。作品づくりはその最良の手段だった。ときに「気づかい」が行き過ぎて自身を追い込むことがあったが、それでも他人の要望に応え、他人を喜ばせることが彼女の原動力であった。

 

子どもたちが語るリサについても述べられる。「子どもたちは幼稚園に行きたくないときはいかなくてよかった」という。ここにも「(それが自分の子供であっても)人の気持ちを気にかける」リサの気質が出ている。「父のグンナルは悲観的な楽観主義者でリサは楽観的な悲観主義者だった。気質の部分でも二人は補い合っていた」と子供たちは述べている。そして二人は、彼らの子供は「医者や弁護士、車の整備士など、何か役に立つ仕事」をするようになると、「冗談めかして」「楽観的な希望」を持っていたというが、「全員がアーチストになった」と述べられる。リサはアーチストであれ、何であれ、本当にその人にとってそれがいいことなのか、絶対に断言できない人だったと思う。

 

私たちはこの式のあと、リサがいなくなったリサの家に、家族たちに混じって向かった。それぞれのパートナー(かつてのパートナーを含む!)や子供、孫らが大集合して、子供たちは裏庭でかけまわり、大人たちはどう見ても全員が自由人だ。この大家族を見ていると、きっと「全員がアーチストになる」に違いないと確信する。やはり環境はなによりも決定的なのだ。

 

そして、60年代にサマーハウスを、70年代に自宅を購入したことが語られる。つまりこの2つの家を手に入れたことが、リサの人生において大きな事件であったということだ。私たちは家を持っていないので、この人生のダイジェスト版に2つの家のことが大きく取り上げられることが不思議だった。けれど、よく考えてみるとそれは意外ではない。リサとグンナルにとって、制作環境が整い、そして自分が体験することがなかった温かい家庭の拠点として家を持つことは重要な意味があったのだろう。リサもグンナルも温かい家庭を体験できずに大人になったからだ。

 

リサは作品のために「常に情報を収集していた」という話も出てきて、これは少し意外だった。「夜はテレビの前でスケッチしていた」そうで、テレビも重要な情報源と考えていたのだ。彼女は継続的な努力の人だったのだ。

 

そして人生の後期の15年から20年間について語られる。ここからは主に日本の話で、私たちが知っている話ばかりになるので、ここでは触れない。この時期については私たちの視点からもまとめてみたい。今開催中の「私のリサ・ラーソン」はその序章のようなものだ。

 

後半に「リサはかつて、スウェーデンの権威的な機関から無視されてきたが、一般の人々に支持されることでそれを乗り越えてきた。そして近年では再評価の機運が高まった」ことに言及される。これはリサの生涯を語るうえで特に重要なことだ。彼女は母を失い母に焦がれ、自分に向いた仕事で成功したが、商業的に成功したがゆえに疎まれ嫉妬された。けれど最後には正当に評価され、大きな家族も、やりがいのある仕事も得て人生にリベンジしたのだ。もちろん人生に勝者なんかいない。けれど、リサは死の直前においても「私たちには、やりたいことがたくさんあるのよ!」と話していたのだ。そして最後の最後、それはひじょうに安らかな死であったという。ならばこれ以上、現世に対して求めるものは何もないだろう。

 

牧師がリサの人生のダイジェストを語り終えると、長男のマティスと次男のアンドレアスがブッキングしたという、二人のミュージシャンが登場し、美しい女性の声とエレクトロニクスのチェロによりバルカン半島の古い歌を想起させる音楽が演奏された。この二人はこの日のために組まれたユニットで、組ませたのはマティアスだ。ここにも両親の自由な実験精神を受け継いだラーソン家の伝統を見るようだ。終わったあとに、マティアスが音楽はどうだった?と私に聞いた。私が音楽を好きだと知っているからだ。ここに、リサの気遣いが継承されている。

 

式の最後、参列者が手に薔薇を持ち、棺の上に乗せていく。棺に手をあてる人やキスする人もいる。私はしばし目を閉じて合掌した。

 

式の後、私たちが訪れたリサのいないアトリエには、さっきまで作っていたかのような作品や準備された粘土がいたるところにあり、花を摘んだリサが今にも帰ってくるかのようだった。私たちは、リサとグンナルが40年以上を過ごしたその家で、彼女が残したもう1つの作品である大家族と一緒に、食べ、スウェーデンワインを飲み、子供たちと遊び、焚き火をし、懐かしいリサの映像をみて泣き、長男のマティアスが選曲したと思える音楽で踊り、リサの子供たちとハグし、夜の9時を過ぎても明るい中、ホテルに戻ってきた。それでもまだ、リサがいないとは思えないのだ。

Lisa larson