君はレスターを読むのか、読まないのか?

~レスター・バングスの書評が朝日新聞に載ったことをお祝いして~

私は、この本を絶対に読んだほうがいいよ、とアンタに強く言えない。この本の主人公であるレスター・バングスはロック評論家というマイナーな評論家であって(メジャーな評論家って何だ?)、生前に評論集は出版されておらず、本格的な小説を書くという野望も結局は実現できなかった。そのくせ33歳なんかで死んだので、映画のフィルムが途中で切れたみたいな人生で、そもそも伝記が書かれたことが不思議なくらいだ。じゃあ、アンタは読まないでいいのかな。いや、待ってくれ。なんでこんな男の伝記が書かれて、なんで英語版の出版から20年以上もたってノコノコ日本語版が出るんだろう?ちょっとその謎を知りたくないか。なんだかムズムズしてきたなら、アンタはこの本に選ばれし者だ。さあ、そこに座ってちょっと話を聞いてくれ。

 この本のハイライトは2つある。

 

 1つは15歳の著者(ジムさん)が死の2週間前のレスターに会いに行く場面。当時のレスターはロック評論という仕事に懐疑的になっていた時期だが、15歳の小僧に向かって本心を吐露する。「いまになって振り返ってみても、俺がこの仕事をするようになったのは言ってみれば必然なんだ。なにしろ音楽と文章こそが俺にとって最大の執着だったわけだからね。狂信的なレコード蒐集家、そして狂信的なリスナーとしての延長線上にあったのがこれだった。そこに生まれる狂信的な意見を誰彼かまわず聞かせたいって話だからね」何でもない子どもの自分に対して、ヒーローはまったく手加減せず本当の話をしてくれる。それが少年の心にどんなに決定的なことであるかは、アンタにもわかるはずだ。これはヒーロー太宰治に会いに行った吉本隆明少年の場合も同じだったよな。太宰は行きつけの飲み屋に連れて行って「君、男の本質はなんだかわかるかい」と吉本少年に尋ね、「それは母性だ」と教えた。

誰の思春期にも、自分勝手にカスタマイズした自分だけのヒーローがいる。それだけならそれは「はしか」のように過ぎ去っていくものだが、何かの契機によって、ヒーローそのものの本質に触れることになれば、それは「事件」となって、生涯にわたり影響を及ぼす。たった一回の逢瀬であっても、ヒーローの本質には常に優しさと悲しさと気遣いと孤独への決心が一体となっているから、それに一旦触ってしまったら、心のどこか深いところの磁石が固定されてしまうのだ。ジムさんが伝記を書き上げた労力は一回の逢瀬から得たものと見合うものだった。1分の出会いが50年の恋を作り、3分の歌が100年の熱狂をつくる。それを知っているアンタにはわかるはずだ。

 レスターの悲劇とは「思春期の衝動として追い求めたスリルを、哲学に、でなければ生き様に、あるいは美学に消化させよう」と願ってやまなかったことだ。と、「レスターを知る人」が言う。そんなことに入れ込むと必ず破綻するぞと彼は警告するが、まさにそれこそがレスターだし、ジム少年が受け取ったものもそれだし、我々がこの本から受け取れる唯一のこともそれだ。「レスターを知る人」はそれを悲劇と言うが、それは悲劇なんかではなく生きる目的なんだ。君はわかっちゃいないんだよ!

 

この本のもう1つのハイライトは、レスターが彼女へ出したラブレターだ。


ナンシーへ

おまえが嫌いだ!その(くだらなく)(愚かしい)アティテュードが嫌いだ。
おまえの仕事が、そこに費やす時間が、そしておまえがそれを好き好んでやっている事実が嫌いだ。
おまえの神経症が嫌いだ。
(おまえのボーイフレンドの)デニスが嫌いだ。
おまえののろまなところが嫌いだ。
おまえの野心、そこに生まれる不満、そんなあれこれを、
俺との距離を置こうとするときの言い訳にする、
あの奇妙な「道徳的規範」というメロドラマめいたやり口が嫌いだ。
おまえに会えない時間が嫌いだ。
おまえに会えずに落ち込む俺を見下しながら「はいはい」と
諭そうとする偉そうな顔が嫌いだ。
おまえの家が嫌いだ。
おまえの車が嫌いだ。
おまえの弟のピアノの練習が嫌いだ。
おまえの兄さんの目に浮かぶサイケデリックな光が嫌いだ。
イーヤのことが嫌いだ。(※イーヤはレスターを気に入ってくれていたナンシーのおばあちゃん)
ハロルド・ピンターが嫌いだ(※著名な劇作家。ナンシーは演劇をやってた)
ツェッペリンが嫌いだ(デトロイト行きの飛行機もろとも墜落しちまえばいい)(※ナンシーはレッド・ツェッペリンのファンだった)
おまえに会いたい
と伝えるたびに理屈っぽくなるおまえの態度が嫌いだ。
おまえに死ぬほど会いたくなるのが嫌いだ。
愛を込めて、レスター

(翻訳:田内 万里夫)
(※は私の注釈です)

 

こんな言葉がルー・リードのアルバムジャケットに書かれて届けられたらど~したらいい?
ナンシーとレスターは結局別れるが(レスターはそりゃあ誰とも長く続かない)、別れて5年もたって、ナンシーは他の男と結婚し、レスターにも新しい彼女ができているのに、彼が生前計画していた初の評論集には「ナンシーへ、世界中の愛を込めて」と献辞を入れようとしていた(今の彼女じゃねーんだよね~)。こーいう、その人の実績とはまるで関係しない部分に(これを人間的魅力と言うと違う気もするが)どうしても引っかかってしまう。レスターの死後、彼が計画していた本は少し形を変えて出版されたが(トンカチで次に出ます!)、編集者はこの献辞をそのまま採用した。よって、前カノであるナンシーの名も、彼女自身は決して望んでいなかったろうけど、ロック評論史の中に永遠に残ることになった。

ジムさんが伝記を書く決意をしたのは、初めて自分という人間を認めて、本気でちゃんと対峙してくれたのがレスターだったからだ。さて、俺は、死ぬまでにそんな関係を誰かと持てるだろうか。そして、アンタはどうだろう。

HO(トンカチ)

▷レスター・バングス特設サイトはこちらから。

Lester bangsTonkachiTonkachi books