サイコティック・リアクションズ・
アンド・キャブレター・ダング

  レスター・バングス著作集

「ホンモノか紛いものか言葉で射抜く」──伝説のロック評論家レスター・バングスのアンソロジー(著作集)が初の邦訳!2024年に初邦訳が刊行された「Let it Blurt」に続く、トンカチブックスからのレスター・バングス第2弾。
ロックが最も輝いた1970年代を太く短く駆け抜けて遺された、言葉の奔流。音楽評論界の大物グリール・マーカスが膨大なレコード評や記事、未発表原稿の中から精選。文学としてのロックンロール、ロックンロールとしての文学がここに蘇る。

出版記念イベントを開催しました。

レスター・バングスのなんの夜?
What the Night? — A Lester Bangs Celebration

新刊の発売を記念して、7月4日(金)、代官山の期間限定バー「BAR_ナンノオト?」にて、出版記念パーティーを行いました。


Photo © Kate Simon

レスター・バングス(著者)

Lester Bangs

1948年12月14日ー1982年4月30日。

レスターのキャリアは大学時代、雑誌「ローリングストーン」の読者によるアルバムレビューを募集する企画に応募したことから始まった。独学で築いた荒々しい言葉遣いと極めて鋭利な文章は人気を集め、ローリングストーンでニッチな地位を確立した。1973年「ミュージシャンを侮辱した」という理由で解雇されるまで、ローリングストーンで執筆を続けた。

その後、寄稿した雑誌「Creem」でも、騒々しく急進的な批評は止まらなかった。ある時は、アメリカのロックバンド、J・ガイルス・バンドのコンサート中に、タイプライターを手にステージに上がり、聴衆に見られながらリズムに合わせてキーを叩き批評でライブした。Fusion、Playboy、Penthouse、New Musical Express、Phonograph Record Magazine、Village Voiceなどさまざまな出版物に寄稿する。1982年、ドラッグの過剰摂取が原因で33歳という若さで生涯を閉じた。


グリール・マーカス(編者)

Greil Marcus

1945年6月19日まれ。アメリカの作家、音楽ジャーナリスト、文化評論家。ロック・ミュージックを文化と政治というより広い枠組みの中に位置づける学術的・文学的なエッセイを執筆したことで知られる。すでに30冊近くも著書があり、その影響はイギリスのイアン・ペンマンやマーク・フィッシャーにまでおよぶほど大きい。日本では『ミステリー・トレイン』『デッド・エルヴィス』が有名。


書籍詳細
188mm×128mm/672P
著者 レスター・バングス
編者 グリール・マーカス
訳者 奥田祐士

定価:¥5,000+ 税
ISBN : 978-4-910592-41-1

限定特典

レスター・バングス著作集『サイコティック・リアクション・アンド・キャブレター・ダング』限定特典

ミックスCD『The New Velvet Undergroud』

この本の出版準備が大詰めをむかえた頃、我がトンカチでは引越し前の思いつき企画「BAR_ナンノオト?」のオープン準備が大詰めをむかえていた。両者が重なったことで、このミックスCDが実現した。作ったのはパワーショベル時代から我々の音楽部門を支えてくれた藤本雄一郎さん(彼は伝説の?PowerShovel Audioのディレクターであり自身でも音楽作品をリリースしている)。BARをやることが決まって彼にこのバーのためにミックスCDを依頼した流れで、じゃあレスターの本が出るから、レスターが生涯に渡って気にしてたヴェルベッツをテーマに別にもう1つ作ってくれと依頼した。彼はヴェルベッツはもちろんその周辺を聴き込んだあと、最終的に今に生きる架空のヴェルベッツを作った。それが『The New Velvet Undergroud』だ。レスターが聞いたら怒り出すだろうか、笑い出すだろうか、手を叩いて喜ぶだろうか、わからんけれど、無視はできないはずだ。

※本特典はなくなり次第予告なく終了します。 
※限定特典付きの書籍をご購入ください。


【関連本】
レスター・バングス
伝説のロック評論家、その言葉と生涯



奥田祐士(翻訳)

おくだ・ゆうじ

1958年、広島県生まれ。東京外国語大学英米語学科卒業。出版社勤務をへて翻訳業に。訳に「フィル・スペクター 甦る伝説」「ザ・ビートルズ・サウンド最後の真実」「ニール・ヤング自伝』(以上、白夜書房)、「ビル・グレアム ロックを創った男」(大栄出版)、「トッド・ラングレンのスタジオ黄金時代』(スペースシャワーネットワーク)、「ハリー・ニルソンの肖像」(国書刊行会)、「バート・バカラック自伝』(シンコーミュージック)、「ルー・リード伝」(亜紀書房)、『ロビー・ロバートソン自伝 ザ・バンドの青春』『ボール・サイモン 音楽と人生を語る』「ビートルズ”66』(以上、DUBOOKS)ほかがある。

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この仕事(音楽関係の翻訳)をはじめて40年近くになりますが、そのなかでも『サイコティック・リアクションズ・アンド・キャブレター・ダング』は、まちがいなく一番の難物でした。語彙、文体、ロジック……どれを取ってもひと筋縄ではいかず、仕事は遅々として進みませんでした。それでもなんとかやり終えることができたのは、わたしが当時のレスターの読者層とドンピシャの年代(70年代に十代を送った)で、取り上げられた音楽の多くを肌感覚で覚えているからだと思います。そして迷路のように入り組んだ文章の核心にたどり着くと、そこに待っていたのはこれ以上ありえないほどの共感でした。これぐらい70年代の音楽シーンをヴィヴィッドによみがえらせてくれる(レスターが嫌悪している対象もふくめて)本もないでしょうし、いまだにあの時代の音楽から逃れられないわたしにとっては、もはや愛読書となっています(実を言うと原書は初刊時に入手していたのですが、ずっと積ん読状態でした)。


それにしても翻訳は大変でした。おっ、けっこうスルスル訳せるなと思っていると、いきなりわけのわからない文章が出てくる。わたしのようなネイティヴではない翻訳者は、こっちの力不足でわからないのか、それとももともとわけのわからない文章なのかがわからないというジレンマを抱えています。その点では翻訳に協力していただいたリベルのみなさん、そしてとりわけレスターの評伝の作者、ジム・デロガティス氏が大きな助けとなってくれました。「わたしにもわけがわからない」という彼の言葉が、どれだけ励みになったことか! ですのでかりに理解に苦しむところがあっても、それはそういうものなのだと理解していただけるとさいわいです(?)。そしてそうした難所に気を取られていると、ごく簡単なところでポカをしでかしてしてしまう。おかげで編集サイドには、多大な迷惑をおかけしてしまいました。

ですがすべては過ぎたこと。あとはできるだけたくさんの人たちが、わたしと同じようにこの本を愛してくれることを願うのみです。

追伸:今、某有名プロデューサーの自伝を翻訳中なのですが、そのなかに驚くべき記述が出てきました。それによると、1989年のとあるレコーディングの現場に「伝説的な音楽ジャーナリストのレスター・バングス」から電話が入り、原稿の執筆に必要なので、この場で新曲を聴かせろと強要されたというのです。むろん、著者の記憶ちがいだと思いますが、これはある意味、向こうの音楽シーンにおけるレスターの地位をあらわしているのではないでしょうか。あ、ちなみにこの箇所については、あとで著者に問い合わせて訂正してもらうつもりです。


綾女欣伸(編集)

あやめ・よしのぶ

1977年鳥取県生まれ。
編集者。
大学在学中からインディーズ音楽レーベルで働き、朝日出版社を経て、現在はフリーで編集や執筆・取材をおこなう。2012年に「アイデアインク」シリーズ(内沼晋太郎『本の逆襲』、佐久間裕美子『ヒップな生活革命』など)を立ち上げ、ほかに武田砂鉄『紋切型社会』、「本の未来を探す旅」シリーズ、九螺ささら『神様の住所』、『Chim↑Pom展:ハッピースプリング カタログ』などを編集。最近の担当作は山本美里『透明人間 Invisible Mom』(タバブックス)と山下賢二『君はそれを認めたくないんだろう』(トゥーヴァージンズ)。デザイナーに話を聞くフリーペーパー「デザインの両面」も継続中。大阪・北加賀屋で開催のASIA BOOK MARKETの韓国出店者もコーディネートする。

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映画『メジャーリーグ』で聞き覚えのある〈恋はワイルド・シング〉はもともとザ・トロッグスというバンドの曲なんだ、どんなバンドだったのかなとその論評を期待していたらなぜか話は自身のハイスクール時代の教室へと飛んで接近についてのみだらな妄想が広がり(「ジェイムズ・テイラーは死の標的」)、「コルトレーン」と標題にあるのでどのライブについて語られるのかなと思っていたらなぜか話は酔って友人の家から持ち帰ったサックスを轟音で吹き鳴らせば噛みついてくる老家主との警察を呼ぶ呼ばないのビーフ合戦になる(「ジョン・コルトレーンは生きている」)。自分はいまいったい何を読まされているんだろう? これはなにかの「論」なんだろうか? そもそも「音楽」の話なんだろうか? と自分を見失いそうになる。

そんな瞬間が、この、日本で初めて翻訳されるレスター・バングスの著作集『サイコティック・リアクション・アンド・キャブレター・ダング』を読んでいるとたびたび訪れます(というか、そんな瞬間だらけかもしれません)。そして、原稿で、PDFで、ゲラで、この700ページにもおよぶレスターの言葉を何度も何度も浴び続けていると、あ、ここでいま流れが変わった、潮目が変わった、みたいなことがなんとなく感覚的にわかってくるような気もしました(そんな気がするだけかもですが)。そのとき言葉はまさしく音楽のようで、読むというよりは聴いているかのようです。 

そのような体験ができるのも、レスターの文章に見事に息を吹き込んで日本語にしてくださった訳者・奥田祐士さんの偉業あってこそです。そのことにあらためて感謝しつつ、もしかしたら人は「音楽」だけについて書くことは不可能なんだと、レスターは身をもって伝えてくれているのかもしれません。自分を見失わないような文章、自分の外に出ないような言葉にどんな意味があるんだろう、と。その先にあるのは、不思議な自由の感覚でした。


ジム・デロガティス(解説)

Jim DeRogatis

1964年生まれ。アメリカの音楽評論家、ジャーナリスト、大学の准教授。世界で唯一のロックンロールトークショーであるラジオ『サウンド・オピニオン』の共同司会者。シカゴ・サンタイムズ紙でポップ・ミュージック評論家として 15年間寄稿した。彼自身ドラマーであり、80年代初頭から数々のインディー・ロック・バンドに在籍してきた。現在のパンクトリオ、ヴォルティスは2000年から活動しており、最近7枚目のアルバム『This Machine Kills Fascists』をリリースした(Cavetone Recordsからレコードで発売中、Spotifyでストリーミングも可能)。彼もレスター同様、ローリング・ストーン誌 在職中に、否定的な批評を書いたために解雇されている。

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代打:ジム・デロガティス

レスター伝の著者であるジム・デロガティスさんの「レスターに関することならなんでもするよ」というレスター愛に満ちた献身的な協力がなかったら、この本は世に出なかったろう。そんな彼にここに載せるコメントをもらいたかったが、スライ・ストーンとブライアン・ウィルソンが同時期に亡くなるという、太陽と月が同時に消滅する大事件のせいで彼の時間が取れなくなった。そこで、ここでは彼の書いてくれた「解説」をつまんで、ジムさんからのコメント代わりとさせてもらう。

そもそも、ジムさんの解説はオリジナルの本にはない。けれど、50年も前に書かれた原稿で、しかも、当時からネイティブにもわけがわからなかった原稿をそのまま出してもそりゃあダメだぜ!ってことで、本の編集もかなり進んだあとで、急遽ジムさんに解説をお願いした。各章ごとに学習参考書みたいに書いてほしというのが私からのオファーだった。解説なんか入れやがって余計なおせっかいだと君は言うかもしれないが、これは私の人生における数少ない善行の一つになったといい気になってるんだから、少し黙っていてくれ。そして、彼の解説を読め!レスターは何を伝えたかったのか、なぜレスターは今も、君や俺より愛されるのか?ということがわかってきて、本が読みやすくなる。実際、私はこの解説がなければこの本を放りだしていただろう。

まず、ジムさんが言ってるのは、細かいことにひっかかるな、ってことだ。その時代を生で体験してないとか、文体や題材の一部に、こりゃあひどいってものがあるとか(結構あるからね~)、そんなことはスルーして、この文章の中にある、音楽や人間性に対する深い洞察、心からの笑いや深遠なアイデア、そしてエネルギーや生命力を見逃すな、と言う。そしてレスターの真のテーマは、いつだって、その課題や喜びもすべてこみの人生そのもので、音楽批評は自分の思いを伝える手段でしかなかったと言う。ここで俺らは、そうだろ?オマエの真のテーマだって人生そのものもだよな!って詰め寄られた気になる。

俺も君も、人生そのものに興味があるし、それを力いっぱい生きたい。なのに、いつもこんがらがってしまう。細かいことにひっかかり、人間なんて見えなくなっちまう。そして、ここから出ていきたかったことさえも忘れちまう。レスターの文章が今も意味があるとしたら、それじゃいかんぞオマエってことを、父でも母でも兄でもないやり方で、吠えてくれるからだ。

「これらの残存物が天才の仕業なのか、クズなのか、それともその混ぜものなのかは」「各自で判断してほしい」でジムさんの解説は終わる。そうだよ、音楽は、特にかしこまっちゃいない音楽は、お前自身で判断しろってことだけを、繰り返し繰り返し突きつけてくる。音楽だけが俺たちを大人扱いしてくれたんだ。だから足を向けては寝れないわけだ。あの頃も、そしてこれからも。

HO (ジムさんのコメント代打)

 


重実生哉(デザイン)

しげざね・いくや

1979年生まれ。
グラフィックデザイナー。筑波大学芸術専門学群卒。モリサキデザインなどを経て2006年独立。書籍のデザインを中心にグラフィックデザインを手がける。高知県在住。


企画者のコメントを読む

理解できないレスターの本について
理解しようとした男の話し

オマエは念願のレスターの本がついに刊行となって、さぞかし有頂天で、もう死んでもいいくらいに満足したんだろう、と無邪気なアンタの声がする。冗談じゃねぇ、全く満足なんてしてねぇ。余計にわからなくなっちまったんだ。

翻訳が上がってくるたびにチラミして、そのあまりの意味のわからなさに愕然として、そもそも、この本が読みたくて翻訳出版しようとしたのに、日本語で読んでもわからないんだからさ。おいおい、おらぁ、なんでこんな本に手を出したんだろう。やっぱ、親の言うことも聞かずに勝手に学校辞めたり、母親の葬式をさぼったり、いい加減な会社をやって善良な人々を巻き込んだり、さんざん人間としてクズなことばっかりやったからか。因果応報、これが相応。

あまりにわからないので、レスターの伝記の著者であるジム・デロガティスさんに泣きついて解説(あんちょこ)を書いてもらった。ややわかるようになって、なんとか本書を読み終えたが、それでもやっぱりよくわからないんだ。

人間はなんで、他人が作った音楽みたいなものに、その小さな違いに、こんなに必死になるんだろう。死ぬほどひとりぼっちを望みながら、どうして人とつながっていたいんだろう。音楽なんか大嘘だってしってんのに、なんで本気にしちゃうんだろう。

人は何かやって、それでもてはやされないと生きていけない。歌でも文章でもラジオ修理でも饅頭作りでも何でもいい。まず、俺にはそれくらいしか出来ないってことを「やって」そして「受ける」。受けないと、幻想は枯れちゃうが、ちょっとでも「受けたら」続けられる。生き残った幻想は、幻想のくせに、現実味をまとって動き出す。つまり現実の擬態がはじまる。

この本にあるのは全部が幻想であって、現実はひとつもない。レスターの前に置かれた現実は、小さな名声(小さくもなかったか?)とサンプル盤だらけの汚いアパートだけだ。そして、彼が愛し、時には憎悪したミュージションたちの前には、小さなアパートから大邸宅に至るまでの様々なヴァリエーションの邸宅と、それに付随したいろいろなオマケが福袋みたいな現実として並んでいる。現実とは、要はヴァリエーションとオマケの違いだ。

現実は空間と時間の制限を受けるが、幻想の行き先には制限がない。俺らの幻想は平気で宇宙を超え、オマエが心酔したアーチストの幻想までも超えていける。本書を読んでアンタらがうっすら気づくのはそこだ。それこそが本当の自由であり、本当の「旅」であり、つまりは「ロック」だ。レスターが示して、俺らが夢中になったのはそれだったのかもしれない。

私にとって音楽評論家というと、渋谷陽一さん、中村とうようさん、阿木譲さんということになる。私はそれぞれの人から大いに影響を受けた。水先案内人の存在は今より遥かに重要で、新しく聞くべき音楽を、様々な幻想をひっくるめて彼らから受け取って、昼飯を食わないでレコード代にしたが、腹はへらなかった。

私はレスターを読めなかったし知らなかったから、何の影響も受けていない。だから、死んだレスターに手紙を書いたというカート・コバーンの気持ちは全くわからない。しかし、これからのアンタらにはこの本がある。アンタが英語がわからない私のような純粋国産製であっても、この先は、レスターから影響を受けることも、嫌うことも、無視することもできるわけだ。私はそーいう自由をアンタに届けたかった。おめでとう。アンタはもうレスターの幻想をも超えることができるし、誰にでもお手紙を書けるのだ。

まだ、これから次のレスター著作集が待っている。よって、まだまだ幻想に休みはないのだ。レスターの次の本を待ってくれる良い子のみんなに、注意事項は2つだけ。レコードの溝が作り出す幻想にひれ伏すな!そして、スカートの溝が作り出す幻想にも、せいぜい気をつけなよ。


HO (BAR_ナンノオト?)

 


今後の刊行予定

第3弾

Main Lines,Blood Feasts,and Bad Taste/Lester Bangs

© 1987 by The Estate of Lester Bangs
© 1987 by Greil Marcus
Japanese translation rights arranged with The Estate of Lester Bangs
c/o Raines & Raines, Millbrook, New York through Tuttle-Mori Agency, Inc., Tokyo
© TONKACHI,Ltd.

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